サードプレイスという語があります。

これまでサードプレイスについては、近くに大家がいらっしゃるので恥ずかしくて使えませんでした。

昨夜、サードプレイスのワークショップに参加したので、やっと自分の体験としてサードプレイスという語を使えるようになりました。

さて、これまでにも書いたのですが。

行政が「子どもの居場所」として子ども食堂を位置づけようとしています。

また子どもを対象とした施設、子どもを対象とした活動を子どもの居場所というくくりで議論しています。

しかし「居場所」という語からは子ども達の動き、人や町との関係が伝わって来ません。

サードプレイスであれば、ファーストとセカンドがあることがイメージでき、子どもをアクティブな存在として捉えることができます。

・家が居心地の良い場所ではない。

・学校が面白くない。いじめられる。

だから第三の場所(サードプレイス)が必要。

何故必要かが分かりやすくなります。
そして、利用者である子どもの立場に立った議論ができるようになります。

サードプレイスに関する本や資料を読むとサードプレイスは。

・誰もがふらりと立ち寄れて、たわいもない話をして時間を過ごすことが許される場所。
・何か義務が生じたり、生産することを強いられない場所。
・頭と体の緊張をほぐす事が出来る場所。

そんなようなことが書いてあるように私には思えます。

子ども食堂を居場所と言い換えて、そこに学習、スポーツ、遊び、食育といった機能を加えることに私は違和感を感じるのです。

それでは「第二の学校」になってしまいます。

学校が機能しなくなっているので、子ども食堂(子どもの居場所)に補完させるという発想になっているように思えてならないのです。

管理され、緊張を強いられる場所をもうひとつ作る必要があるのでしょうか。

子ども食堂が広がり、そろそろ定着しそうな気配を感じる今、サードプレイスという物差しを当てて考え直してもよいのではないでしょうか。