昨夜は桃谷こども食堂の日でした。

社会福祉研修・情報センターさんの取材がありました。
4ページの特集に掲載していただけるとのこと。
「お気楽子ども食堂」を運営している私たちが、「西成子ども食堂」の川辺さんと同列に扱って頂けるなんてお恥ずかしい限りです。

さて、取材をお受けしながらぼんやりと頭のどこかで考えていたのですが。

最近なにかとメディアで紹介されている「子ども食堂」

「子ども食堂」という名前を使い始めたのは東京蒲田の「だんだん」さんだとお聞きしていたのですが、西成子ども食堂さんが最初のように思えてきました。

「西成子ども食堂」はその前身も含めて2010年から始められているのです。
ネーミングの理由は子どもが来るから子ども食堂。シンプルです。

先のブログにも書きましたが、子ども食堂が広がっているのはネーミングの妙だと思います。

社会活動、福祉活動に関するネーミングは、明朝体の漢字が長く並んでいるものが多いような気がします。どこか庶民を寄せ付けないオーラを放っています。

軽薄かもしれませんが、社会活動、福祉活動にもマーケティングが必要だと思います。

「社会貢献でメシを喰う」という本を書いて、大学生の社会貢献カリスマになった竹井善昭氏はマーケッターです。韓流の仕掛人とも言われています。

大きな動き、流れを作る方法はビジネスであっても、非営利の社会活動であってもその肝は同じであると思います。

今そこにある課題を「大変だ!」「こんなにひどい!」と訴えることは大切ですが、そこから生まれるものは「運動」です。運動家は「あなた、ひどいと思いませんか。思うのなら私と一緒に行動しましょう」とアピールします。私にはなにかしっくりと来ないものがあります。

運動は「変化」を生みますが、排除と敵対という副作用がおまけについてきます。
私たちは歴史の中でこの副作用がもたらした悲劇を沢山見て来ています。

ブログを本にすることで大儲けしていると批判を受けている内田樹先生がどこかで、正論は収容所列島を生むというようなことを書いていたと思います。

「子ども食堂」が運動になることを懸念しています。

「子ども食堂」は優しくておせっかいな人達が始めた「庶民活動」であり、小さな日常の営みの連鎖であって欲しいと思います。

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