多くの方がご存知の「子ども食堂 安心・安全プロジェクト」
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確かに必要なのですが、違和感を感じています。

少し書いてみようと思います。

主催者は子ども食堂を貧困対策ではなく、子どもの居場所と定義し、せっかく沢山できたので衛生面・その他事故から子ども達を守ろうというロジックで推進しています。

自分の経験から衛生問題を考えると。

2014年に子ども食堂を立ち上げました。
1年程経ったある日、見学に来られた方から電話がありました。
「保健所への届けはどうしたらよいですか」という質問でした。

私はレストランのオーナーとレストランで運営していたので、想定外の質問でした。

その時、頭に浮かんだのはこの活動は保健所からストップがかかるかもしれないという懸念でした。

そこで、県をあげて子ども食堂を推進している滋賀県の担当者に確認しました。
答えは「特別に何もしていない」でした。

大阪市に聞いても、大阪市で長年続けている「ふれあい喫茶も特別な届出はしていないので」という答えでした。

衛生問題は棚上げにされたまま、子ども食堂が増加する勢いに政治、行政が負けて、子ども食堂が2,000軒以上に増えていたというのが今の状態です。

いろいろな所で話をさせて頂いたのですが。
私は子ども食堂は社会活動と定義しない方が良いと考えています。
自分達の身の回りの範囲で行う、助け合い(庶民活動)です。

「食べるインフラ」と考えるのであれば給食を議論する、まちの飲食店で心ある経営者が行い、それを支援すべきです。衛生面できちんとした物差しを当てると、条件をクリアーできている現場は少ないと思います。

子ども食堂は政治的に魅力があるから、安全面でお目こぼしを受けているのではないか。
というのが、邪推かもしれませんが私の見方です。

子ども食堂 安心・安全プロジェクトは子ども食堂を貧困対策ではなく、子どもの居場所と定義しています。

この言葉を目にした際にいつも思うのは。子どもの居場所が子ども食堂である必要はないのではないかということです。せっかく出来たので安心・安全面から充実を図ろうという流れは理解できるのですが、子ども食堂をインフラと考え、いろいろな役割を期待する現状には賛同できません。

運営に参加している心ある人達の負担がどんどん増えていくことになると思います。
ボランティアはあくまで自発的な活動です。
ボランティアは楽しくなければ続けられません。
どこまでの義務と責任を負えば良いのか、きちんと考えるべきです。

子どもの貧困は大きな問題であり、この国の大きなリスクです。
しかし、国民運動という名前で行うのではなく、本来は政治と行政が仕事として行うべきものだと思います。

子ども食堂は貧困問題を矮小化すると語り、非難されたことがあります。
子ども食堂の最大の功績は、この国が貧困に向かっていることを教えてくれたことです。
大阪市を見ていると、貧困問題を子ども食堂人気にあやかり、子ども食堂を起点に考え、議論されているかのように感じます。

子ども食堂が、今流行の政治のポピュリズムの一部にならないように冷静になるべき時ではないかと感じています。