子ども食堂のインフラ化について続きを書いてみようと思います。

これまで書いて来たことと同じことなのですが、インフラ化を主張する記事が出てくると書かずにいられません。

アイデアのある心優しい町のおば様が始めた活動が、多くの人の心を捉え広がったのが子ども食堂です。

子ども食堂に関わって4年間で私が見たこと。

ひとつは行政、社会福祉のプロ、地域活動のプロが最初は冷ややかに見ていたのが、人気があるのでそれを人(ボランティア)集めのために活用しようとした。

もうひとつは、これまで社会活動に参加したことがない普通の心優しい人達が、心動かされ、これなら自分にでもできるかもしれないと参加した、

私は後者の方々から沢山の相談を受け、こうすれば無理なく、楽しく、子ども食堂を始め運営することができますとお伝えしてきました。

行政、社会福祉、地域活動のプロの方々から依頼され公演することもありました。

どちらの場合も私が伝えて来たのは、ここで何度も書いていますが、これは社会活動ではなく「庶民活動」であるということ。小さく楽しく運営すること。子どもの貧困問題と関連して考えてはいけないということ。

そもそも。ボランティアが何故集まらないのか。
行政や社会福祉のプロとの関わりが面倒くさいからです。助成金を貰ったらそれを処理する際に小姑のように細かなことを指摘されるからです。更に地域の人間関係や組織対立に巻き込まれると毎日の生活そのものが息苦しくなるからです。

ボランティアが集まらない、地域活動の担い手が高齢化している。
そんな中、彗星のごとく現れたのが子ども食堂です。
これに政治、行政、地域が乗っかりました。
子ども食堂を増やすことが、行政組織の中で評価の対象となりました。

増えることは良いことです。
「インフラになったからそれを維持しよう」「大人の都合で止める子ども食堂がある」などという新聞記事が出ると、それはもう強制の世界です。ボランティアにそこまで求めるのはいかがなものかと思います。

組織の中で働いたことがあれば簡単に分かることです。
インフラの維持、運営そのものが大きな仕事です。
組織とシステムが必要です。組織とシステムを維持するためにどれだけ苦労したのか、リタイアしてこの活動に参加した人達は思い返すべきです。

子ども食堂は楽しいから、そのネーミングが人を惹き付けるから広がりました。
このことは、有識者の方も何度か書かれています。

楽しく、明るいことに人は惹き付けられます。

子ども食堂を社会インフラであるとか、守らなければならないといった発想で今後展開していけば楽しくなくなります、組織の頸木が生まれます。

こうしたことを肌で感じ始めた人達が、子ども食堂から離れ始めています。

どんなことにもライフサイクルがあります。子ども食堂がライフサイクルのどこに位置しているのか、冷静に見る時です。

マスコミ、行政、有識者の方にあまり煽らないで欲しいと今一度言いたい。